ソラトリと双極性障害

双極性障害二型と診断されたソラトリの呟き。うつ病っぽい双極を持つソラトリが"ほぼ"うつ病のような症状について、日々思うことについて書き留めています。

うつと読書と。

ソラトリです。こんにちは。

 

 

家で死んでいるとき、私は何をしているか.......

うつの人が直面する問題に"暇"というものがあると思います。

酷いうつの時は何もせずベッドで落ち込んでるか、将来に絶望してるか、人生が如何に不平等であるものか考えるか.......もしくは、ひたすら寝ているか。

特にやることはないですがなんだかんだ暇ではないような気がします。

 

ですが! ほんの少し回復してきた時、なにかしようか、なにかしたい、そう思えるようになってきた時。でもまだ体はついてこない時。

 

"暇"

 

とにかく暇ですね。ベッド上でできることなんて限られています。スマホをいじって、スマホをいじって.......。以上です。

 

よく暇なら本を読んでみたら?と言われることがあります。ええ、そうですとも。この無駄にも思える時間、本を読めたらなんと私の人生にとって有益なものになるか。

 

 

本を読むってほんと難しいんですよ。ただ文字を追うだけ、そうやって小さい頃から思ってきてましたし、特に頑張ろうとしなくても読めました。だって"ふつうの"人は読書を息抜きにしたりするんですから。

 

読書が息抜き?? 

 

考えられないですね。

 

 

 

読書をするとき、まず読書をしようと思います。(まあ、ここまでは出来ます)

そして、読む本を選びます。(はい、ここ! うつの人が引っかかるポイント)

 

そうなんです、なにをよんだらいいか分からない。

 

私は特にうつの時、決断力が著しく低下します。2択でも難しいんです。

はっきりいって今、どの本を読むかなんてどうでもいいことで、どっちの本を選んだって私の人生は大きく変化しないでしょう。1冊読んで、また次に残った方を読めばいいのだから。

 

でも、出来ない。不思議ですね。

 

 

 

よし、読む本が決まった。さあ、読み始めよう。

 

ん? 何が書いてあるんだ?(はい、躓きましたね)

 

1文字1文字読めます。義務教育を受けてきたのですから、それはそれはスラスラと。

でも な ぜ か 内容があたまに入ってこないんですね。理由は知りません。

1つ文を呼んで、頭の中で上手く咀嚼出来ていない感じ。

これはなったことがない人にはもしかしたらうまく伝わらないかもしれません。すごく感覚的で、言葉にするのが難しいです。

 

だから、小説は基本的に起承転結の"起"の部分で読むのを辞めてしまいます。事件も何も起こってはいないし、恋人になる2人は出会ってもいないですね。

 

 

ほとんど読んでいない本を本棚に戻すとき、自分の中のプライド、本くらい読めるだろうというプライドがズタズタになります。

自分はこんなに簡単なことも出来ないのか。こんなんでいつか、いつか、普通の生活が送れるのか、と。

 

だからあまり本は触ることがありません。

 

そして、あまり暇つぶしにはオススメできないですね。(これはうつが重い人向けのアドバイスですが)

 

 

じゃあ、何しましょうか。

 

 

ものすごく悪い時は寝てればいいし何かをする余裕なんてない。そしてまあまあ良くなればやることなんて身の回りに溢れていて、やりたいことだってすぐに見つかる。

 

その、中間地点にいるとき、何をしましょうか。

 

 

 

テレビを見ましょうか、スマホをいじりましょうか。

 

私はわりとこの問の答えが見つかることがうつを快適に過ごす上で大切なのかなと思います。人それぞれですけどね。そんな話でした。

言葉は刃物だ。

こんにちは、ソラトリです。

 

家にこもりすぎて外が暑いのか、それとも肌寒いのか。そういうこともわかりません。

今は家の外、雨が降っています。昔は、雨が降ってるなんて髪が決まらないし、傘もささなきゃいけないし.......と嫌なことばかりでした。

今はもう関係ないですね、ただ家にいるだけなんですから。

 

 

先ほどの記事で書いた通り私の双極性障害はほぼうつ病です。鬱!って感じで、人生に絶望して、自分の生きてる価値が分からず、いっそ死んでしまおう.......みたいな。

 

今とか、ね。

 

こうやって絶望してるとき、ふと思うことがあります。酷いことだなぁと我ながらに思いますが。

自然災 害なんかが起きてみんな不幸になってしまえばいい。

私だけこんな思いをするくらいなら、みんな不幸になって同じラインに並んでほしい。なんであの子だけ幸せそうなんだ。なんであの人ばかり.......って。

酷いですよね。

 

酷いです。

 

地球まるごとなくなってしまえばいいのに。とか。争いが起きてしまえばいいのに。とか。

書いててちょっとゾッとする、そんなことを頭に浮かべます。

 

 

よく、いますよね。病気になって余命わずかな人のことを盾にして、死にたいなんて思うなんていけないだろ、生きられない人達のこと考えたことないのか?とか。

遠い国の子供たちを盾にして、こうやって平和に生きられていることにどうして有難みを感じないのか? その子達の分まで生きるべきじゃないか?とか言う人。

 

自分に対して言われる分には慣れていたりします。あーまたはじまったか、って。

でも他人に、見知らぬ人でも、ツイッター上でもそういうことを言ってる人を見ると勝手にイラッとして、勝手に怒って、勝手に苦しくなります。

 

こういう言葉を投げかける人は、死にたい、と言う人間が軽々しくその言葉を口にしてるとでも思ってるんですかね?

もう限界まで頑張り続けてそして、そして、口から出る言葉だと気づいてないんですかね。知らないんですかね。

 

この世界の残酷なところは、そうやって"わからない"側の人間の方が幸せそうに生きていて、死にたい、なんて思わない人生を送る勝ち組な所でしょうか。

人が幸せかなんてほかの人には分からない理解できないといいますが、ね。

 

 

『言葉は刃物だ』

とはよく言ったものです。みんなが知っている言葉です。

 

でも、その"言葉"が、きえろ、ブス、しね、クズ.......とかわかりやすい言葉だけではないところを知ってる人はどれだけいるんでしょうか。

 

"がんばれ"

その一言が刃物に変わりうる人がいます。

 

 

がんばりたくても頑張れなくて、生きる希望を持ちたいけれど持てなくて、死にたいなんて思わない人生が欲しいけど手に入らなくて.......

 

そんな人も、今日を、この日を生きてるんですね。

 

 

はじめまして

 

 

こんにちは、ソラトリといいます。ブログは初めて書きます。

 

双極性障害二型になってもう1年以上経ちます。自分は鬱が強い方でほとんど(今のところ)躁にはなっていません。毎日がゆるゆると辛くて、そして時折強い鬱が来ます。

リーマスを800mgそして眠剤を毎日飲んでいます。

 

双極性障害というと躁の方に重きを持たれがちですがとにかく鬱が辛い!ということをどこかに吐き出したくてこのブログを始めようと決めました。

本当の気持ちなんて自分のことを知ってる人には言えないじゃないですか。

ましてや家族になんて絶対に言えないじゃないですか。

 

 

このブログをかいていつか、いつの日か、こんなことあったねって笑える日が来たらいい。

 

明日も見えないくらい真っ暗だったけど、振り返ってみてこの日々があったから今の私がいる。

そんなこと言ってみたいものです。

 

 

 

よろしくお願いします。